こんな筈ではなかった。友好的で良い人々の筈であったアフガニスタンの盟友である北部同盟の歩兵戦士たちがカブールに入った。彼らはアフガンの首都には入らないと約束した筈ではなかったか?マザリシャリフとヘラートだけを占領し、タリバンの脆さを世界に知らしめ、西側諸国に戦争の目的であったタリバンとオサマ・ビン・ラディンのアルカイダの運動の撲滅が必然の理であることを見せ付けることになっていたのではなかったか。
我々の同盟によって処刑され、カブールの中心部に放置された老人の死骸もテレビに映し出される筈ではなかった。わずか2日前、アラステア・キャンベルのワシントン、ロンドン、イスラマバードを結んだ24時間「コミュニケーション・センター」はタリバンのプロパガンダに反対する内容であった筈だ。いまや、キャンベル氏はカブールのプロパガンダ要員に我らが盟友である北部同盟の歩兵戦士の嘘を暴くような体勢を敷かなくてはならなくなったのだ。
この国において1970年代以来あらゆる形で政教分離による現代化に刃を向けてきたラバニ代表を北部同盟がその中心に据えることは、どれほど穏健な措置を取るにしても、9月12日時点で誰も予定していなかったことである。 |
パキスタンのムシャラフ将軍に北部同盟をきちんと統制下におくことを約束し、国連軍のラクダル・イブラヒミにはタリバンにかわる新しい真にアフガン国民の意思を代表した政府をつくる事が出来るようにすると確約したのは、アメリカ国務長官であるコリン・パウエルではなかったか。
ムシャラフ将軍は、アフガニスタンが真に国民を代表する政府を樹立するようにするというアメリカからの約束を受けて、自分の国と自らの命を懸けてまでアメリカに対する支持を約束していた。パキスタンの空軍基地は「テロに対する戦争」を支援したが、それはひとえにワシントンが北部同盟にカブールを占領させず、アフガニスタンを支配しないことを条件にしたものであった。
昨日届いたカブールからの写真は、ロシア擁護派と共産主義者がアフガンで敗北した1992年4月に録画されたビデオテープとほとんど同じ状況を示していた。その時とほとんど全く同じように非パシュトン人が歓喜の声を上げていた。2日以内にへクマティアル・ガルブディンがカブールを爆撃しはじめたのである。彼の民族グループがアフガンの首都を内戦に陥れたのである。昨日の時点で、アメリカが共に今後の作業を進めるための枠組みを作る間北部同盟はカブールの周辺にとどまることになっていた。しかし、現在のところ、タリバン不在のアフガニスタンは無政府状態になっている。
一体何が起こっているのだろうか。また、ビンラディン氏に何がおこったのだろうか。我々は、彼はまだ山岳地帯に入っていないと仮定した上で彼を山岳地帯に追い込もうとしているのか、あるいはパキスタン国境に近い部族地帯に追いやろうとしているのだろうか。カブールを落とされた今、タリバンは、その生まれ故郷であるパキスタン国境付近の純粋主義と反啓蒙化を形作った宗教学校の近辺にもどってゆくのであろうから。
北部同盟は虐殺、略奪とレイプを繰り返しながら前進している。我々はこの銃を持った輩を理想化してしまい、彼らに過度に共鳴し、何の疑問もなく支援し、そしてテレビに映る彼らの姿に実物とは大違いの像を描いていた。そのため彼らの過去に対して免疫が出来てしまったのだ。たぶん北部同盟自身にしてもそうかもしれない。
ラシド・ドスタム将軍はマザリシャリフを陥落された我らがヒーローである。彼は、自分の戦士たちを処罰するのに、戦車に彼らを縛り付け、自分の戦陣の一角を走り回らせてつぶすことを習慣にしているのだ。こんなことは、この月曜日の夜、ドスタム将軍の大勝利の報告に対する歓喜の声の中どうやって想像できただろうか?
昨日のアフガニスタンからのレポートを聞いて、タリバンが麻薬栽培を禁止したあと、北部同盟はアフガニスタンの麻薬の輸出量の80パーセントを握っていたことを誰が思い出しただろうか? 私は、このような話を過去に執筆したことがあるのだが、これは非常に恐ろしい経験であった。その時は、タリバンでなく、コソボのKLAという麻薬の収入に戦費の一部を頼っているゲリラ軍だったのだが、この政治的目的がNATO のセルビア占領と一致しマセド二ア内で「テロリスト」(我々の前外務省長官による忘れられない描写である)と化した経緯があったのだ。確かに、NATOの運命の女神の行動はミステリアスであるが、今回の我々の盟友を理解するのはさほど難しくないー統制より賛美されることを好みつつ自分のやりたいことをしているだけである。
疑問なのだが、我々はどうしていつもこのあいまいで危険な関係をこの盟友と続けているのだろうか。何十年もの間我々は北アイルランド当局が「テリトリーを理解している」ことによって、B Special(1970年までのアルスター特別警察隊)が重要な安全保障の手段であるという知恵を受け入れてきたのと全く同じように、我々も北部同盟が「国を知っている」から頼り切っているということなのではないかと私は危惧している。
イスラエル人がレバノンのファランジスト武装集団に頼っていたのはこのキリスト教徒マロン派がパレスチナ人を嫌っていたという理由であったし、ナチがクロアチアのウスタシャの殺人集団を承認したのは、ウスタシャがセルビア人を嫌っていたからだった。
どうして北部同盟は現在我々の盟友なのだろうかと自問してみる。忠実な同盟だからではなく、タリバンを嫌っているという理由ではないだろうか。イスラムによるアフガニスタンの破壊と極貧に反対するからではなく、オサマ・ビン・ラディンを嫌っているから、ではないだろうか。
北部同盟には勇敢な男達がいる。これは事実だ。殺害されたリーダーであったアーメド・シャー・マスードは尊敬に値する人物である。だから我々の盟友を神格化することはそう難しくない。
しかし、1992年から1996年にかけて、北部同盟は虐殺、組織的レイプや略奪の代名詞であった。ここが我々ー私はアメリカ国務省もこのなかに加えたいーがタリバンのカブール入りを歓迎したのだ。北部同盟が1996年にカブールを追われたとき、すでに5万人の市民が北部同盟によって殺されていた。この北部同盟が今の我々のアフガンにおける歩兵戦力になっているのだ。確かにビンラディン氏よりは良いだろう。だが、一体全体彼らは我々の名において何をしでかそうというのだろうか。
イラン軍が1998年にアフガニスタンの西の国境へ集結し、マザリシャリフでタリバンに殺されたイランの外交官達とアフガンの盟友たちの仇討ちをしようと準備していたときカンダハルのタリバン執行部から手紙が届いた。
「進入の日を決定せよ」ムラー・オマルからの2行だけの声明であった。「諸君の退却の日を決めるのは我々だ。」イラン人は賢くも攻撃を延ばした。タリバンからの返答があった可能性とすればそれは非常にアフガン的な返事であった筈だ。アメリカとイギリスーあるいは義務づけられているように「同盟」と呼ぼうかーは現在似たような扱いを受けている。北部同盟はアメリカの砲撃手たちがカブール入城への道を準備してくれるのをじっと見ていた。彼らは感謝した。そして今度はカブールに入城し、イギリス人には出て行けというのである。 かわいそうなイギリス軍は無力にもアフガンの外務大臣と状況処理をしようと連絡をとることもままならない状況である。アフガンの衛星電話はスイッチが入ったままだ。いや、スイッチなど最初から入れていないに違いない。
不思議なのは、どうして我々がこのような人間たちが我々に従うなどと期待してしまったのかだ。アフガンではそのようなやり方は通用しない。民族グループや部族、村人たちは外国人の指示になど従わない。取り引きがすべてだ。西側は北部同盟に自分たちの手先として歩兵となって戦わせたかった。北部同盟川はアメリカの砲撃手達に、自分たちが首都に入城するための砲撃をさせたかっただけなのだ。タジク人とウズベク人、そしてハザラ人にとって、このようなことは当たり前のことだ。彼らはタリバンを滅ぼし、アフガニスタンあるいは自分たちが呑み込めるものすべてを手中にいれた。彼らが少しばかりの復讐の気分に浸りたいと望めば、あちこちで500人や600人のパキスタン人戦士がマザリで虐殺され血の海ができ、クンドゥズでも人権侵害の可能性がある残虐行為が行われるといった状況であるーそんなに驚くほどのことでもないだろう。
今でさえ、北部同盟と同盟を結んでしまったことによる苦い結果に直面し、我々はボスニアの奇妙な再現を見ているような反応をしている。つまり、アフガン人は戦争好きで残酷な人々だと思い起こさせつつ、同時に抑制を求めているのである。
北部同盟の銃撃手たちがカンダハルになだれ込もうと準備しているのに対し、ブレア氏は「抑制」を求めている。西側のメディアは今になって読者や視聴者に対し、この歩兵たちからは虐殺以外の何者も望めないことを伝えようとしている。アイルランドのジャーナリストは、先週電話インタビューで私にいつものよくある質問をした。マザリでの殺人で怒り、神経質になっていないか?アフガンは昔からの戦争の伝統に戻ったのではないか?アフガン人に文明的に振る舞えというのは、ちょっと期待しすぎだったのではないか?
私は、このインタビュアーにアフガニスタンの文明化はアイルランドよりも先だったことを喚起しようとした。それどころか、ヨーロッパのほとんどの地域よりも進んでいたのだ。そして、アフガン人たちが互いに殺し合いに使っているミサイル、戦車、歩兵武器とロケット砲などは、文明国家から入手しているのだということも。イギリスの外相マルコム・リフキンドがボスニアから足を洗おうとしているときにでっち上げた「昔からの戦争の伝統」に関する全くのナンセンスに耳を傾けていなかったわけではない。
しかし実際問題は、我々が誰か他人の軍隊を自分の物のように使っておいて、その軍隊の行為に対して責任を持たずに終わらせられないというところにある。我々はドイツ人が第二次世界大戦後に戦争責任から逃れることを許さなかったそして、我らが北部同盟の少年たちが殺人に走ったとき、我々はその結果の流血に対して責任を持たなくてはならないのである。
クンドゥズの場合を見てみよう。50以上のアメリカ機がタリバン戦士の士気を落とすためにこの地域のタリバンの前線を爆撃し、北部同盟の銃撃手たちが首都を陥落させるのを許したのだ。
北部同盟はタリバンに猶予期限を与えた。タリバンがこの期限を無視したらどうなるかは、自明だ。彼らはすべて殺されることになる。私はこれが本当でないことを望むが、実際にはそうなってしまうだろうと恐れている。しかし、我々はナイフが取り出されたとき、肩をすくめるだけなのか? 我々は北部同盟を援助したことを都合の良い部分だけ認め、その結果に対しては関与を避けるのか?ほんのわずかでもオサマ・ビン・ラディンに対するやり方と恐ろしい対比がないだろうか?もし彼が殺人者たちに吹き込んで人権に対する犯罪を9月11日に行ったならば、彼は5000人の死に対して有罪である。しかし、我々が北部同盟の殺人を手引きしても我々はその罪から潔白というのである。
カブールの外側で我々の北部同盟のいつもの無政府状態におちいっている。ジャララバードの戦いはナンガハルの覇権争いをうんでいる。カンダハル周辺のパシュトンの部族リーダー達は北部同盟に戦いの脅迫をしている。北部同盟のハザラ人分子はカブールで十分な分け前を要求してタジク人とウズベク人の同士を脅している。
これらすべてに加え、哀れな年老いたロバである国連は、アフガニスタンの事態収拾という現在史上かつてないほどの不可能な任務へと引きずり出されている。北部同盟はご親切にもパシュトントン人が新政府でそれなりの位地を占めさせるだろうか?タリバンの穏健派を数名ーできれば髭が短めのーを、広範なベースからなる行政に参加させることが出来るのか? 広範なベースというフレーズを聞いただけで、政治協議に顔を出すアフガンの代表の顔が見えるような気がする。広範なベース?
アフガンの人々が知っている唯一の広範な現象といえば、停戦である。それすら、アフガン人だけに限られた停戦である。クンドゥズの停戦申し出に関して一番不気味な要素は、これがパシュトン人に対してだけのものであるということだ。つまり、この地で捕虜になっている外国(アラブ)の戦士に対しての停戦ではないのだ。これらのアラブ戦士たちは、虐殺されるかーあるいは、北部同盟と共にいるBBCのレポーターの昨日の身の毛もよだつ言葉を借りればー「情け容赦なく取り扱われる」であろう。
私自身の戦争体験では、情け容赦なく取り扱うということはマザリでもおこったことだがすなわち戦争犯罪に他ならない。そして、これが地の海から逃げられた人たちの運命をさらに悪化させるだけなのだ。これがこの戦争を私たちが告発する人道的な基礎であり、そのことを強調する価値のあることだとおもわれる。忘れないで欲しいのだが、これは「文明のための」戦争であり、「民主主義」のための戦争であり、「善の悪に対する」戦争なのだ。この戦争は「あなたは私たちの敵であるか、さもなくば味方である」戦争なのである。
さて、次の虐殺はどこで起こるのだろう。我々はどちらの味方なのか、自分に問うてみよう。犠牲者の側か、それとも殺人者の川か?そして、もしも善の側がたまたま殺人者の側であったら、我々はどちらになるだろう?我々は北部同盟側の多くの戦果について聞かされてきた。しかし、この戦争はまだ始まったばかりなのだ。